道の駅名 | 京都新光悦村(きょうとしんこうえつむら) |
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所在地 | 622-0025 京都府南丹市園部町曽我谷縄手15-3 |
TEL | 0771-68-1100 |
駐車場 | 大型:5台 普通車:30(身障者用2)台 |
営業時間 | 9:00~18:00 |
マップコード | 344 133 426 |
※2019年6月5日現在の情報です。
スタッフ訪問日誌
こんにちは!
合同会社結家不動産の酒井です。
さて、本日は園部町の景勝地、「日本の音風景100選」にも選ばれた京都府立自然公園「るり渓」の玄関口に位置する
京都府道19号園部平屋線沿いにある道の駅「京都新光悦村」のご紹介です!
こちらが京都新光悦村の建屋!
前面の敷地内道路に沿うようなアーチ状になっているためか、実際よりも少し大きく感じます。
そんな道の駅「京都新光悦村」、京都縦貫自動車道を降りてほんとの目の前にあり、入り口はなぜかこんな感じ。。。
信楽焼と思われる狸の置物。。。
しかも園部警察署からの寄贈品だとか。。。
何かご縁があるのでしょうか。。。
そんな道の駅「京都新光悦村」、地元南丹市園部町で収穫された安心で安全なお米「温心米(おんしんまい)」がおススメだそうです!
コシヒカリ、キヌヒカリともち米(新羽二重糯)があり、農薬や化学肥料の使用を減らした特別栽培米などその種類も豊富で、
そんな温心米を求める「お米会員さん」はなんと4,000人以上もいらっしゃるとか!
また、2019年は、ここ道の駅「京都新光悦村」がある南丹市を統治していた園部藩の立藩400年の節目を迎える記念イヤーなんだそうです!
そのため、あちこちにそれを祝うのぼりがあちこちで見受けられます!
中々の達筆で園部藩の歴史が記されていましたが、詳しくは次のとおりです。
園部藩は、元和5(1619)年に豊臣秀吉の縁戚で兵庫県豊岡市の出石藩主だった小出吉親が領地替えを命じられて、園部藩3万石の初代藩主となったのがその始まりです。
そんなかつての園部藩があったとされる南丹市では、現在、『ラストキャッスル(最後の城)とファースト天神(最古の天満宮)があるまち』といったキャッチフレーズを用いて南丹市をアピールしています。
そして、その『ラストキャッスル(最後の城)』と言われているのが、南丹市の中心部、園部町にある園部城跡のことなんだとか。
ではなぜこの園部城は『ラストキャッスル(最後の城)』などと呼ばれているのでしょうか。
実は、そんな園部城、今は城とされていますが、当初は城ではなく、天守閣や大規模な櫓やぐらがなかったため陣屋として扱われていました。
しかし、ここを中心として城下町を整備していくなど、その苦労の甲斐もあって、幕末になってようやく悲願だった築城の内諾を江戸幕府から得たのです。
ところが喜ぶのも束の間、1867年の大政奉還に伴ってこのお話は棚上げとさるという不運に見舞われてしまいます。。。
その後、明治政府が改めて認める形でようやく明治2(1869)年に櫓(やぐら)門3カ所、櫓5基が新築されてようやく城が新築されたということです。
つまり、明治になってようやく晴れて城と認められた結果、『ラストキャッスル』=「日本で最後にできた城」となったわけです。
ところが喜ぶのも束の間、そのたった2年後には廃藩置県が行われ、ようやく城として認められたにもかかわわらず、あっという間に城としての役目を終えてしまうという
不運に見舞われてしまいます。
そんな数奇な運命をたどった園部城、その城跡には現在、京都府立園部高校がありますが、巽櫓や櫓門、番所は今も残り、八木町の安楽寺には、園部城から移築された太鼓櫓もあるそうです。
そんな園部藩立藩400年を記念して、道の駅京都新光悦村では兵庫県豊岡市の出石藩主だった小出吉親にちなんで出石そばを使用した小出そばなるものを特別メニューとして提供しているそうです!
小出そば、こんな感じです!
実物ではないのが残念ですが。。。
以上、『ラストキャッスル(最後の城)』を擁する南丹市園部町の道の駅京都新光悦村のご紹介でした!
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